『私は私。母は母。』は、世間では慈愛の象徴とされている「母親」に苦しめられる娘に向けて書かれた、「母親から自由になり、自分の人生を生きるための方法」の本です。
7つのパターンのいわゆる「毒母」の例を挙げ、なぜ母親は娘を苦しめるのか、どう考えて、どう接したらいいのかが分かりやすく書かれている良書。
「何かがおかしい」「どうしてこんなに苦しいの」と思いながら母親と接してきた女性にぜひ読んでほしい1冊です。
「認定子育てアドバイザー」講座でおすすめの本
私が今、働くママ向けのWEBサイト『CHANTO』さんで連載している育児コラムも、もう120記事ほどになりました。
育児や教育のことを書くにあたり、必要な知識をさらに網羅しておくことが必要と感じ、私は現在「認定子育てアドバイザー」の資格を取得中です。
その講師の先生が、皆さん本当にすてきな女性ばかり。
その講師の先生から「この本を読んでおくといいですよ」とおすすめだったのが、この『私は私。母は母。』(加藤伊都子 著)です。
(Kindle版はこちら→https://amzn.to/2K9MSFk)
「娘を苦しめる母」の7つのパターンとは
前半では、ストーリー仕立てで、娘を苦しめる母の典型的な言動が紹介されています。
- 成人した娘に毎日のように電話をかけてくる。距離を置こうとすると「私が邪魔なのね、死ねばいいのね」などと言う。
- 何かするたびに、母から「本当に不器用なんだから」「役立たず」などと叱責され、”自分は平凡で取り柄がなく、他人に嫌われてうまくやれない”といったイメージがふくらんでしまう。
- 小さい頃から優しい言葉や愛情をかけてもらった記憶がない。
- 娘の個人的な選択にもすべて関わり、知りたがる・参加したがる
…など。
この本を読んで、
「自分の母はこれだったのか!」
「他にも同じように母に苦しんでいる人がいた!」
そして、
「母の不幸は娘の私の責任ではない」
「わたしは自分の人生を生きていいんだ」
と知り、救われたという声が数えきれないくらい寄せられていて胸が痛くなります。
以下はAmazonレビューより一部抜粋です。
同じような境遇の方が多いのに驚かされました。それを知るだけでも救われます。もっと早くこの本に出会えていればよかった。
読み終わった後、この人のこと嫌いでも良いんだ、とか、度重なる(母からの)誘いをそんなふうに断って良いんだ、とか、心がラクになります。
母の不幸は 私のせいじゃなかった。
母を幸せにできるのは、他のだれでもなく母自身なのだ。
私ができることは 自分自身の人生をしっかり生きていくことであり、それこそが私の本当の責任なのだ。
この本を読んで やっとハッキリ分かりました。
かわいそうな母を残して一人幸せになることに対して言葉では言い表せられない罪悪感を感じていました。親不孝で最低な娘だと自分を責めました。
でもこの本を読み終わって自分は間違ってなかったんだと知ることができてこれから自分の人生を生きていく勇気をもらいました。
下手に人に話すとお母さんなんだからと余計傷つくことを言われます。周りに仲間を見つけられてない人にはぜひ一度読んでいただきたいです。
「母が嫌い」だと言ってもいい
そして後半では、タイプ別に、「こういう母親にはこう対処する」という具体的な方法が書かれています。
ののしりながらも自分を手放そうとしない母親に対し、線引きをすることに罪悪感を感じてしまう娘。
でも、そんな後ろめたさに対し、きっぱりと「NO」を言ってもいいと書かれ、その具体的なステップが詳しく解説されています。
海外でも、スーザン・フォワード著「毒になる親」をはじめとする書籍が出版されていて、自分を苦しめる親と対峙する方法が書かれています。
しかし、日本の母と娘に特化して、ここまで具体的に、いつ、どんな言葉で、こういう反応があればこうする…と解説のある本は少ないと思います。
自分の母との関係を、『私は私。母は母。』と照らし合わせてみた
私の母は本当にニコニコと明るい人で、この世でもっとも大好きな女性の一人です。
『私は私。母は母。』に登場する7つの「毒母」には次のような特徴があります。
- ベッタリ母(身の周りの世話や重要な判断などを頼り切り、娘に母親役をさせる)
- 過干渉母(娘が自分で決めるべきこと・やるべきことに手出し口出しする)
- 無関心母(娘が求めるような愛情を注ぐことをしない・できない)
- 完璧で重い母(しっかり者で娘にもプレッシャーを与える)
- かわいそうな母(夫婦関係や仕事など自分の人生を生きられず、その不幸を娘のせいと感じさせる)
- 残酷な母(娘へのダメ出し・侮辱・差別を続けながら手放そうとしない)
- 言うことが矛盾だらけで口うるさい母(筋の通らない無責任なアドバイスを繰り返す)
本を読んだ人たちからは
「母はあきらかに2番」
「母が3番と7番の複合だと気づいた」
といった声があがっていますが、私の母に当てはまるものはほぼほぼ見当たりません。
ただ、著者はフェミニズムやジェンダーの専門家であり、本の中でも、上記のような母親を生み出す背景には「女性は常に他者(親や配偶者や子ども)をサポートする立場であるべき」というジェンダー教育の存在を指摘しています。
私は物心ついた頃から、「どうして女性だけが当たり前のように家事育児をして、男性はやってもらう側なのか」ということには、本能的によく疑問を感じていました。
両親は私に「女の子なんだから」と言うことはほとんどなく、お手伝いなども弟にも私にも等しく頼んでいましたが、それでもたまに「なんで女の子だけ?」と思うことがあると、猛然と反抗していた記憶が…。
母自身は、そういうことがあっても不満を言ったりせず、いつもニコニコしていました。性格的なモノもあるでしょうが、やっぱり我慢していたことも多かったのだろうと今は思います。
ただ、それを自分の娘たちに強要したり、母が不幸なのは私(娘)のせいだと思わせたりするのが「毒母」とそうでない母の分かれ目なのだと、この本を読んで感じました。
私は娘たちを苦しめていないか?『私は私。母は母。』でわが身を省みる
今、私には高校生と中学生の娘たちがいます。
当然ながら彼女たちにも足りないところや課題はたくさんありますが、それはそれ。
私は本当に娘たちが可愛くて大好きでたまりません。
限りある人生のたくさんの時間を、こんなに大好きな相手と(それも二人も)過ごすことができて心から幸せだといつも感謝しています。
といっても、2人が小さい頃は大変でしたよ。長女はものすごく個性的で普通の育児の常識が通用しないし、喘息やアトピーがひどくて看病やケアに明け暮れる日々。次女は癇が強くて泣き出すと手が付けられないし、ちょっと目を離すとどこにでも行ってしまう。
ちなみに夫はちゃんと仕事はしてくれるけど、家事育児に対しては当事者意識がなく、私がヘロヘロになっていても”悪気なく”他人事。(私の方に「私のやり方でやりたい、口を出さないで」という気持ちがあったのも事実です)
私が当時ガンになったのも育児ストレスのせいじゃないかとひそかに思っています。
でもそれで恨んでいることは全くなく。
娘たちが成長して、今日楽しかったことや嫌だったことをかわるがわる私のところに話しに来てくれたり、お気に入りの宝物を見せに来てくれる今は、ちょうど炎天下で世話を続けてきた果樹園が収穫の時を迎えて、おいしい果実が山ほど獲れた農家さんのような気持ちです。
愛する娘たちに対し、この本に登場する「毒」母親のように自分がなっていないか…常に省みていきたいと思います。
おわりに/『私は私。母は母。』はこんな人に読んでほしい!
今回、この本を読んだ人の声をたくさん拝見してとても印象的だったのが、よく「親からの暴力・虐待は連鎖する」と言われ、気をつけていてもカッとした時に手をあげてしまって後悔する…という話を聞きますが、「毒母」に関しては、「わが子には毒母にならないようにしよう、連鎖させないでおこう」と決心した女性は、ほとんどがそれを実現できているということ。
「毒母だから私も毒母になってしまった」という人はとても少なく(気付いていないだけかもしれませんが)、「私はならないでおこう」という意志があれば、回避できるものという思いを強く持ちました。
そのためには、「どういう行為が娘を苦しめるのか」「その根底にあるのは何か」をしっかり知ることが第一だと思います。
ぜひこの本を読んでほしい人は、すべての女性…中でも、
- 母親に苦しめられてきた人
- 子育て中の人
- これから子どもが欲しい人
は必読です!
子どものいる男性(これから欲しい男性)もぜひ。
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