ライター自己紹介
ライターのバブルスです。
40代女性、関西在住です。
ライターとして活動を始めたのは2004年頃なので、ライター歴16年になります。
育児でお休みしたり、パートと兼業で活動していましたが、年々、WEBの記事作成を中心にご依頼いただけるお仕事が増えてきたため、2018年に独立しました。
得意分野は、育児教育・美容・旅行・本(大人向けも子供向けも)・住まい・健康・ライフスタイル・ファッションなど、女性向けジャンルを特によくお引き受けしておりますが、時々思いがけない分野の記事作成依頼をいただくことがあります。
そんな時も基本的には世界が広がるチャンスと思い、喜んでお引き受けしています。
基本的にリサーチが好きで、知らなかった分野についてセミプロになれるくらいまで調べたら、今度は「よく知らないけど知りたい」と思っている人に分かりやすく教えるのが大好きです。
世の中には、
「正確で詳しいのだろうけれど文章がどうにもこうにも分かりにくい」サイトと、
反対に
「文章はやさしいけれど内容が薄くオリジナリティがない」サイトがとても多いと思いませんか?
その中間の、
「教えるのが上手な友だちに説明してもらっているような、詳しいのに分かりやすい」サイトは意外と少ない気がします。←私はここが大変得意です。
どのようなテーマでも、必ず「詳しいのに分かりやすい」文章にしてご提供しますので、ご期待下さい。
WEBライティングで特にお伝えしたいこと
最初にお伝えしておきますが、私は紙媒体はもちろん、WEBの文章においても、「コピペ(コピー&ペースト)」は一切しません。
いったん自分で理解してからすべてオリジナルで一から文章を書いています。
引用が必要な時は、著作権法三十二条に則って引用します。
もし、コピーチェックツールなどにお金や時間を費やしていらっしゃるようでしたら、そこはまったく必要ありませんので、私へのご依頼に関しては、コピペチェックは省いて時間とお金を節約して下さい。
また、漢字検定2級取得しており、過去16年間に誤字脱字や文法ミスによる戻しは一度もありませんのでご安心下さい。
クラウドソーシング「ランサーズ」での「ライティングスキルテスト」でも、上位5%の成績を取っています。
経歴

学生時代~最初の就職
関西の郊外で育ち、私大の英文学科を卒業。
海外へ出る仕事をしたいと思っていたものの、当時はバブル崩壊直後の氷河期で航空会社は軒並み募集ゼロ。旅行会社も就職課では「あきらめろ」と言われましたが(←今思うと、就職課がそんなこと言う…?)、奇跡的に3社から内定をもらうことができ、某大手旅行会社に就職しました。
予約手配のほか、添乗員として海外・国内合わせて100回近く旅をしました。
この時の経験に基づいた旅行記事は、「ネットや本で調べればわかることだけでなく、プラスアルファの情報が入っている」として、大変喜んでいただいています。
特にハワイは非常に好きで詳しいため、ほぼ常時ハワイ関連の記事をお引き受けしている状態です。「書いてほしい」と言う方はぜひ!
ハワイ州観光局公式検定試験
「ハワイスペシャリスト検定 ラウアエ(中級)」取得
ブラック職場だったため、無念の退職
旅行会社の仕事自体はとても楽しくやりがいがありましたが、私が配属になった営業所はあまりに勤務時間が長く(ほぼ毎日終電・残業代なし)、残念ながら3年で退社しました。
今思えば、転勤の交渉をするなど、もっと方法があったのかもしれません。
でも、人は「もうダメだ」と思ってしまうと、容器に開いた一か所の穴から水が流れ出るように、その一つの結論しか選べなくなることがある…。
私の場合は会社を辞めることでしたが、最近の自殺などのニュースを見ると、そんな風に感じることがあります。
働き方(特に女性)については、このブログを通じて引き続き考えていきたいテーマでもあります。
その後、軽く燃え尽きていたところへ、知人からアルバイトを頼まれ中小企業へのシステム導入コンサルティングの会社へ。
システムが軌道に乗るまで、先方のオフィスに常駐して使い方の説明や開発担当へ要望を持って帰る…というお仕事で、学生時代に勉強したこととは縁のない分野でしたが、色々な会社を内側から見せてもらうのは、机では学べない経験として今でも役立ってます。
一歩離れたところで見る人間関係はまさに社会の縮図であり、最初に勤めた旅行会社(というか私の配属された支社だけ)がいかにブラックだったかも、たくさんの会社を見て平均値が取れるようになって初めて分かりました。
結婚&派遣勤務→自宅安静
その後、結婚して引っ越し、派遣スタッフとしていくつか期限付きのお仕事をしました。
大学の就職センターの事務。同時に派遣で入った女性が、5時のチャイムが鳴った瞬間に「お疲れさまでした!」と帰る姿を初めて見た時は驚きましたが、よく考えたら、それが本来の姿ですよね。彼女も私も、ほとんど同じ量の仕事をちゃんと時間までやったのだから、ズルズル残っている必要なんて1 mmもない。
彼女は海外暮らしの経験がある人だったので、向こうではみんながそうだったのでしょう。周りに遠慮したり、なんとなく居残っている方が仕事熱心に見えてしまう日本の職場の良くないところを実感しました。
次はガラッと変わって建設現場の事務所。年配の男性社員2人と私だけの小さなプレハブの職場でしたが、お二人とも、ガラが悪いとか怖いとかは全くなかったです。ただ、所長の方は最後まで私のことを名前ではなく「お姉ちゃん」と呼んでいましたが…(笑)
この仕事の途中に妊娠が判明。つわりがひどくなり切迫流産のおそれも出てきたので、病院から「自宅安静」の指示が出て、予定より早く退職させていただきました。
地元を離れて近所には友だちもいないし、自宅安静の数か月は、人生でこれほどヒマな時間があるだろうかというほど。
なので、この時期に在宅ワークコーディネート会社に登録したり、育児メディアのライターに応募したりして、少しずつ仕事としての文章を書き始めました。
アレルギーっ子の育児で、健康についてオタク気味になるほど勉強
無事生まれた長女でしたが、アトピーや喘息などのアレルギー症状が重く、産後復帰した派遣の仕事も、度重なる入院で続けられなくなってしまいました。
このころ私は、「一般的な病院での治療方針に従っていても、治る子と治らない子がいるのではないか」という疑念を持ち始め、家庭でできることを色々調べまくりました。
食の安全から住環境まで、本を読んだり人に聞いたり…この時期に勉強したことが、現在、健康や育児をテーマにした文章の底力になり、複合的な健康へのアプローチができる記事をご提供できています。
(長女は現在、アトピーは少し残っていますが、喘息は小学校に入る頃にはまったく出なくなりました)
読む人の心に寄り添う育児記事
現在(2020年)、大学生と中学生、ふたりの娘がいます。
長女は超のつくマイペース。トップ校によくいる「賢くて思いやりもあるけど、ちょっと浮世離れしたような子」…いますよね?
周りからは天才肌と言われるけれど、興味のあること以外はまったく気にとめないので、今でも「嵐」のメンバーを1人も知らないし、一人で電車を乗り換えて遠方へ行けるのかどうかも高校生頃までは怪しかったです。
なので、小さい頃は本当に悩みました。この子は普通じゃない、他の子と全然違う…の連続でした。
でもある時、ふっと分かったことがあります。
書いてしまうと当たり前なんだけど、「人と比べない」ということ。
でも、理屈で分かっているのと、毎日の生活で実行できるかどうかは完全に別物。それまでは「みんな○○しているのに、どうしてうちの子だけ」と、絶対に思います。
子どもを他の子と比べている間は、本当に苦しく育てにくく、可愛く思えない時すらあります。
ある時から、この「比べない」ができるようになると、すべての優先順位がガラリと変わりました。
その子の持つ、豊かで無限の世界を共有できる幸せを感じながら毎日過ごせるようになりました。
そして、それは何もうちの娘だけの話ではなく、すべてのお子さんがそうなんです。
たまたま育てやすい子であれば、気づかずに過ぎていくかもしれません。
でも、もし今「子育てが辛い」と感じるなら、比べることから脱却すれば、きっと大雨の雲の上空に出た時のような美しい時間が待っています。
そんな思いで書いた育児の記事にはクライアント様からも定評があり、WEBでは高いPV(閲覧数)を維持しています。
育児について、分野をまたいで幅広い知識を身につけ、妊娠~出産~育児期の親によりそい、悩みに答える「認定子育てアドバイザー」資格を取得しています。
NPO法人 日本子育てアドバイザー協会「認定子育てアドバイザー」取得
大病を患い、生き残ったので、ゼロになって生きようと思いました
私は2009年と2011年にガンで手術をしています。
さいわい発見が早かったため転移はなく、一度小さく再発はしましたが、現在は薬や放射線などの治療はいっさいしていませんので、一応完治しています。
ラテン語に「メメント・モリ/memento mori(死を思え)」という言葉がありますよね。
ガンになる前、私はその意味が全く理解できませんでした。
今元気に生きているのに、なんで死のことを考えなくちゃいけないの?縁起でもない。と。
病気をして、「来年の今頃ここにいないかもしれない」とリアルに感じた時に初めて、
「命には期限があり、本当にやりたいことをして、世界に愛情を注ぐことができるのは、その間だけなんだ」
ということを理解しました。
理由をつけてそれを後回しにしたり、出し惜しみするのは本当にもったいないことだと思いました。
もちろん、好きなことだけやって生きていけばいい・そのために誰かに迷惑や負担をかけてもいい、ということではありません。
でも、「メメント・モリ」=「自分はいつか死ぬ」と思うと、自分の中にたくさんある思考・判断・焦り・怒り・不安・期待・義務感などのうち、どれが過去の経験や他人の価値観や自分の思いこみに基づいたもので、どれが「ゼロ」の状態で自分が望んでいるものなのか、自然と分かるようになります。
滞在日数の限られた旅行なら、いちばん行きたいお店で食事をして、いちばん見たい景色を見ますよね。それと同じだと思います。
病気をしてからは、もっと「ゼロ」の状態で物事を選んでいこうと思うようになりました。
といいながら、まだまだ「~するべき」「ふつう~だから」「前はこうだったから」という理由で動いてしまうこともありますが…そんな時は「メメント・モリ」です!(笑)
ライター活動を小休止した時期も
私の病気も落ち着き、在宅でライターの仕事は細々と続けていましたが、その当時(2013年頃)、今ほどクラウドソーシングでは安定して稼げない状況だったのではないでしょうか?(私のスキルの問題もあり。)
今でも信じられないような低単価で募集している案件も見かけますが、最近は、ちゃんとした品質の文章が欲しければ、最初から適正な価格で依頼してきて下さるクライアント様が増えてきた気がします。
私も、今は文章の方がはるかに収入になりますが、当時はまだ外に出る方が得だと感じて、パートに出ていました。
しかし、1回目のパートとして小さなWEB制作・コンサルティングの会社でしばらく働いた頃、今度は次女が突発的な病気で短期間に何度も入院。
私が外で働いていて、小学校から帰ってきた娘を一人で家に待たせている間に何かあったらどうしようと心配で、とても良くしていただいたので心苦しかったのですが、辞めることになりました。
社長の奥様の、「いつでも戻ってきてね。ずっと待ってるよ」というメールは今でも宝物で、思い出しただけでも涙が出ます。
さいわい、しばらく経つと次女の病気も落ち着き、2回目のパートを始めました。(また同じことがあったらと思うと、前の職場には戻れませんでした。)
ここは黙々と注文処理や発送作業などをスピードを持ってこなす職場で、会社からの評価はすごく良かったのですが、ミスをしないようかなり毎日心身ともに消耗していました。
家事がなければまだこなせるのでしょうけどね。外で働いていて、自分が家事のメイン担当でない人は、ほんとに!毎日やってくれてるパートナーや家族に感謝しないと!と思います。
しかし、1年ほど経ってなんとこの会社は倒産の憂き目にあい、私も突然の解雇となりました。(経営者の方には気の毒ですが、正直、少しホッとした部分もあります。)
3回目のパートは、臨時職員ですが、いちおう国家公務員でした。
お役所の仕事は「非効率」等と悪く言われがちですが、私のいた職場ではそうは感じなかったです。でも「冷暖房費は税金から出ているので、暑いからといって勝手にエアコンをつけず、決まった室温になってから」など、いい意味ではきっちりしていました。
現在国の方針として副業を推進していることもあり、非常勤なら副業としてライターを続けられたのですが、やはり通勤や家事育児の時間を差し引くとあまりライティングの時間が残らないのが実情でした。
おもしろそうで報酬もいいライティングのお仕事を、時間的な理由で何度もお断りしているうち、「…もうライター専業になってもいける!」と思い、丸3年でパートを辞めることとなりました。
そして、今があります
現在は、直接契約とクラウドソーシングでの受注の両方で、紙媒体とWEBの記事を作成しています。
専業ライターになってみてどう変わったのか…という記事も書きましたので、ぜひ読んでみて下さいね。

これまでのお仕事詳細は、
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私の文章を通じて、読んでくれた人に「楽しかった」「役に立った」と感じていただけるのが最高の幸せです。