今回の記事は私の完全な個人的失敗談がもとになっています!
私が”やっちまった”のは確かなので、それは潔くお詫びするとして。
反省して「正しいやり方」を調べていると、近頃の日本社会の「ある傾向」が見えてきた気がするんです。
このままだとちょっと残念じゃないか…?
という思いがムクムクとわいてきて、思うことを書いてみました。
賛否両論あるかもしれませんが、読んでみたら育児や仕事に役立つかもしれません。
「良かれと思ってやったのに…」私の失敗談
まずは(相当しょーもなくて恐縮なのですが)先日の私の失敗談をお読み下さい。
車をマイクロファイバーのクロスで拭いたら
少し前に、わが家で新車を購入しました。
それまではシルバーなどの汚れが目立たない色の車に乗っていたのですが、今回の車は白!
汚れるとよく目立ちます。
事前にコーティングしてもらってはいましたが、春先のホコリっぽい季節になると、窓枠にたまった排気ガスやホコリが雨で流れ、ボディに黒い筋ができてしまいました。
夫はよくソロキャンプで山道を走ったり焚き火をするので、日頃の洗車担当は主に夫でした。
でも、夫も面倒だったのか、かなり長いこと黒い筋がついた状態だったので、ある日、私は外出前に、マイクロファイバーのクロスで、ささっと黒い筋の部分を拭き取ったんですね。
翌日そのことを夫に言った私。
もちろん感謝されるとばかり思っていたら、「何をするんだ」と怒られました。
私はそれまで知らなかったのですが、乾いた布で車を磨くと、細かい砂などが車体にこすりつけられ、紙ヤスリと同じ…つまりボディに細かい傷が無数に入ってしまい、光沢がなくなったり、塗装がはげて車の損傷が早くなるとのこと。
だから、車は必ず水をかけながら傷つけないように洗わないといけないのですね。
念のため、本当に車を乾いた布で拭いたらダメなのか確かめてみた
確かに、40歳過ぎてそんなことも知らなかった私が無知。
過去、洗車をほとんど夫まかせにしていたのも事実。
それは私が悪かったです。悪かったです…が。
往生際の悪い私は、「本当にダメなのか」と疑って、ネットで検索してみました。
だいたい、食器などのお手入れ説明書には、「乾いた柔らかい布で拭いて下さい」とあるじゃないですか?それで、「バリバリのタオルとかはダメでも、柔らかい布ならいいんじゃないの?」と思ったんですね。
しかし結果は、やはり「柔らかい布でもダメ」なようでした…。
良かれと思ってやったことでも、間違っていたらフルボッコなのか
と、今回の私については「間違った車の手入れをしてしまった、ごめんなさい」で終了なのですが。
上記を調べている時に、ネットのQ&Aサイトで私と同じ疑問を持った女子高生がいたんです。
「お父さんの車が汚れていたので雑巾で拭いたら、喜ばれると思ったのにすごく怒られました。そんなに悪いことなんですか?」
すると、正しい洗車方法を教える回答に加えて、こんなコメントがたくさんついていました。
…と最初はまだ、アドバイスがメインだったのですが、だんだん「車を傷つけた」という理由でフルボッコ状態に。
でもね、いまの世の中、「お父さんの車を自分からきれいにしてあげよう」という女子高生なんて、本当にごくわずかだと思いませんか?
みんなが面倒臭くてやらないようなことを善意でやって、失敗したらフルボッコなんですよ。
「間違う奴が悪い」
「失敗したんだから何を言われても仕方ない」
と。
こういうこと、家庭だけでなく部活や職場などでも時々起こります。
それで、ちょっと待てよ、本当にそれでいいの?と思ったわけです。
「善意でやったことでも間違っていたら容赦なし」の何が問題なのか
「善意でもなんでも間違いは間違い。容赦する必要などない」
という考え方で他人(おもに立場が下の相手)と接していると、何がよくないと思いますか?
「怒られるくらいなら何もやらない方がマシ」という子に育つ
「子どもが親の車をきれいにしてくれた」
「新入りのバイトの子がサポートのつもりで何かしてくれた」
でも、方法が違った…という時、彼らには行動を起こす前に2つの選択肢があったわけです。
- 頼まれていないから手を出さない
- 良かれと思って手を出す
手を出さなければ失敗も叱られることもないので、最近は圧倒的に①の「何もしない」を選ぶ子が多いように思います。
②を選ぶ子は、時には先生や上司に良く思われたいという下心や、状況を考えずに動いてしまう早とちりがなせる故だったりもしますが、ほとんどは善意で動いているはず。
それに対し、やってくれたことはスルーで
「やり方が分からないのに勝手に手を出すな」
「間違った者が悪い!」
と叱られたのでは、どの子もしだいに①の方へとシフトしていくのは避けられないのでは…と思います。
しかしそれでは部活でも仕事でも消極的になってしまい、次のステップへの成長も望めませんよね。
大人は「やる気のある子になってほしい」と願いながら、実際は「やる気を出してもロクなことはない」というメッセージを発し続けているわけです。
善意のある人だけが「やって当然」と思われるのはおかしい
上記の女子高生に対してのコメントに、
「次からはこうやれば怒られないでしょう」
というものがありましたが、回答者は、彼女が次からも喜んで車を手入れしてくれると思ってるんですね。どうかな…。やさしそうな娘さんなので、やってくれるのかもしれませんが。
「夫が家事をしない、私が育児しながら何もかもやっている」という女性の嘆きは、リアルでもネット上でもいたるところで見られますが、そういう夫に限って「なんでこんなに飯遅いの?」「シェービングフォームないんだけど?ちゃんと買っとけよ」と、できていないことについてばかり言うわけです。
最近よく言われる「やりがい搾取」じゃないですが、私は、善意のある人にどんどん負担を乗せていきがちな今の社会にも疑問を抱いています。
誰かが善意でやってくれたことが間違っていた時にはどう対応するべきか
それでは、誰かが良かれと思って何かしてくれたけど、それはやり方が間違ってる!という時、どう対応するのが良いのでしょうか?
私なりに考えてみました。
「やってくれたことへの感謝」と「ミス」は切り分ける
怒るだけで終わってしまう人の脳内では、たぶん、無意識に次のような計算をしていると思うんです。
感謝(40点)-ミス(90点)=評価マイナス50点
だから今回、相手にプラスの言葉をかける必要はなく、マイナスの50点分について叱るべきである…と。
そうではなくて、それぞれを切り分けて考えたいですよね。
こんな風に。
- やってくれたことはやってくれたことでお礼を言う。
- 間違っていた点は伝え、今後どうすればいいのか教える。
- それも、怒りながらではなく、普通に。
悪意のある裏切りや嘘、命に関わるようなことでなければ、これで十分ではないでしょうか。
日頃言いたいことを言い合える大人同士なら、まあ最初くらいはカッとして「何をするんだ」くらい言うかもしれませんが(^_^;)
まずは「やってくれてありがとう」→そして「実はこのやり方が正しいんだよ」
「やってくれたことにまずお礼を言おうね」は、小学校…いや、幼稚園でもよく先生から子どもに言われる言葉です。
大人にできないはずがないんです。
…が、大人になると「こんなこともできないのか」という腹立たしさが先に立ち、攻撃からスタートしがち。
それで人間関係がギスギスモヤモヤしたり、後輩や部下の健全な育成が阻害されるのはとても残念なことだと思います。
そして子どもに対しては本当に、いきなりミスの指摘から入るのは避けたいです。
女子高生が自力で車の手入れを習得している可能性は限りなく低く、もっと小さい子なら知らなくて当たり前。
その時まで「正しい〇〇の方法」を教えていなかったのは自分なのだから、間違いを指摘するのは後にして、まず「ありがとう」と言いたいですよね。
もちろん、私も夫に「なんで風の強い日にピンチなしでハンガーを竿にかけて干す?!!」といきなりキレないよう、まずは「ありがとう」…心がけます(^_^;)
「初めて何かする時は、担当の人にやり方を聞いてね」と教えておくのも良い
子どもが最初に何かやってくれて失敗した時に、親が「何やってんの!もういいから触らないで」と追い払うのは、本当にもったいない対応。
そこで、
「ありがとうね、怒ってないよ。もし、今度”よーし、はじめてだけどやってみよう!”って思ったら、ママ(パパ)に聞いてくれたらもっとうまく行くかも!」
みたいに話してあげれば、子どものやる気を削ぐことなく、損害も最小限に(笑)抑えられるかもしれません。
もちろん、逐一事前報告相談させろとかいうことではないです。子どももそんなの息が詰まるでしょうから。
でも、こういうやりとりを繰り返していると、将来、部活やバイト先・勤務先でも、
「余計なことして怒られるくらいなら、見ないふりしておこう」
という発想にならず、
「少し手が空いたので、〇〇しましょうか?やり方だけ教えていただければ」
と言える人になってくれるのではないでしょうか。
おわりに
今回のことは、私が、頭ごなしに「何やってんだ」と言われた悔しさに端を発したものでしたが、よく考えれば、今まで私から夫・子どもに対してもきっとやっていたのでしょう。
まずは自分から、今回書いたようなことに気をつけていきたいと思います。